先日、綾香やSuperflyの元プロデューサ四角大輔さん × 高橋歩さんの対談イベント Creative Life Design Talks #02 に、学生でもないのに特別に参加させていただきました。
Creative Life Design Talks #02
ゲストのお二人はもちろん、来ている学生も良かった。まぁーぼーこと古瀬正也とのよい再会もあったので、個人的にはとても楽しめました。
しかしながら、会場に人を入れすぎたことと。交流色が強く、歩さん達の講演中にも常に学生のみんなの話し声が行き交い、歩さん達の話を聞き取れた人はごく僅かの状態でした。
直後に挙がった反省点
- 3000円も払って学生が自分たちの話を聞きに来ているのだから、そのような環境を整えるのは主催者の責任
- 特に社会の前線で一生懸命アクションしている人を呼んで講演させるのだから、講演者が気持ちよく話せ、お客さんが聴く体制になっているべき
- 低品質な音響設備とプロジェクターで、歩さんらの作品を上映させないで欲しい
これは一言でいうと、「素材はよかったのに、調理人達のコンセンサスがなかった?」ということかな、と思います。主催者のもっちや四角さんの開催意図がよく分からなかったためにあの場でどう振る舞って良いか分からなかった、という学生の声もありました。
イベント当日は、最初に、学生数人によるライトニングトークがあり、それぞれ今やっている活動を紹介しました。もっちがおそらく持っているであろう目的「学生の中でもがんばっている人がいる」「学生同士、交流をして刺激を与え合ってほしい」といったメッセージを感じました。
実際、ライトニングトークを皮切りに学生同士の交流が始まり、ライトニングトークの登壇者に周りには人だかりができていました。問題は、歩さん達のトークが始まった後も、その状況が続いたこと。しかも、登壇者の近くでもお構いなく、学生達の交流が続いていました。
会場にも問題があったと思います。キャパぎりぎりまでお客さんをいれたので、一体感どころか、少しでも私語をすると講演者の声はまったく聞こえません。
聞こえないため、最初は講演者の話を聞こうとしていた人も、つい周囲の人と話してしまう。講演者の話を聞いているのに、友人に話しかけられたら、つい話してしまう。そんな悪循環の繰り返しで会場中が騒がしくなり、講演者の話を聞けるのは講演者の目の前数メートルとトイレだけ。
これについて思うことを二つの観点から。
1) おっさん的には
直後の反省点はごもっとも。第一線で活躍している人を呼んで話をしてもらっているのに、話を聞かせる場を作っていないのは主催者側の落ち度。
さらに、多くの学生は、聴きたいと思っていたのに、環境のせいで聴けなかったという不満もあったようで、クレームを歩さん本人に言う人もいたようです。
そんなに不満であれば、なぜイベントが終わるまでそれを口にしないのか?
主催者は同じ学生ですし、基本的には学生しかいないイベントですから、講演者に失礼を働いていると感じていたならば、あるいは、自分がせっかくの時間とお金を投資したのに期待したリターンが得られないことに不満を感じているのならば、マイクでもとりあげて主張すればいいのに。
おっさんモードでいうと、僕が学生の頃は、そういった場では、でしゃばり学生が場を仕切りだしてもおかしくないな、と思いました。
「おまえら、今日は何しに来たんだ?いいのかこのまま流されて、歩さんの話が聞けなくても」とか言い出す学生、一人や二人はいた。笑
東京は機会に溢れているから、あの日の一回くらいスルーしても良かったのかな。地方で同じ機会があれば、最後まで黙ってばかりの学生ではなかったでしょうね。
雰囲気や場の力に飲まれやすいのは我々日本人の国民性だし、世代が下になるにつれて、正義より協調・調和の世代なので、よりそういう傾向にあるのかも知れません。
とはいえ、四角さん×歩さん、なんて組み合わせ滅多にないし、その場に参加することで、四角さん×歩さん×自分、という二度と無い「創発」が生まれたのかもしれません。あのとき、四角さん×歩さんの話を聞かずに、周囲の学生同士で話していた人は、それを犠牲にしてまで、そのときに話したい人がいたってことなのかなぁ?その気になれば、いつでも会える人同士なんじゃないのかなぁ、と不思議でなりませんでした。
2) がんばって若者的に理解しようとすると
おそらくもっちの目的は、世の中で言われている「すごい人」でなくても、学生の中にも頑張っている人、すごい人はたくさんいることを、学生に伝えたいのだと思う。今回のライトニングトークではその目的が果たされていたと思う。
そして、四角さんも歩さんも、それらの目的の前では、客寄せパンダに過ぎない存在として、最初からデザインされていたのではないか、ということだ。
「一応、世の中にもすごい人はいますけど、彼らも普通の人間ですよ。それよりも、身の回りの仲間に目を向けてみよう。彼らも同じようにすばらしいよ」と。
実際、若い世代になるにつれ、そういう、オープンでフラットな世界観・人間観を持っている人は多いなと思います。
ただ、そのことが、そのまんまインプリされちゃったのが今回。さすがに、それは失礼ですし、上の世代には理解されないですよね。
もしそのような場を作りたいのだったら、講演者に依頼する時点で、その哲学をきちんと伝え、同意の下、登壇させるべきです。きちんとインプリすれば、もしかしたら、新しい価値観を理解してもらえたかもしれません。ここのあたり、四角さんともっちの間で、どんなコンセンサスがあったのか。反省会に参加できるなら、ぜひ聴いてみたいところです。
ちなみに、歩さんには、相当コミュニケーションを取らないと、この世界観は理解されない気がします。w
いずれにしても、主催者やその仲間だけは、しっかりゲストの声を聴かなければならない。きちんと傾聴していれば、講演中に歩さんがイライラしているのは、誰に目にも明らかでしたし。講演者のお二人の手元のドリンクが空になったときに、声をかけるとか、あたりまえのことを出来ないとね。(と、その役をやっていたのは僕なので、役を奪っちゃって言うのもなんだけど。)
3) 最後に
あの会場の、プロジェクターと音響のひどさは、前回から気になっていました。
クリエイティブなゲストを呼ぶときは、あの会場はもう使わない方が良いでしょうね。
四角さんと先週サンクチュアリ出版でお会いしたとき、あの会場の懸念事項を伝えておけばよかったと反省。
もっちが本当にしたいことは何なのか、よく考えると、まだきちんと聴いたことがないな、と思っていました。機会を作りますね。
もっちにはぜひ、ワールドカフェを始めとするホールシステムアプローチによるダイアログ手法を勉強して欲しい。最近流行っているので、似非ワールドカフェも多いけど、かならず本物を。そういう意味では、僕やまーぼーが参加する Art of HostingにはMUSTで参加して欲しいです。
本当にフラットでオープンな場を作りあげ、ゲストも、一人一人の来場者の魅力も生かせる、まだまだ出来ることがたくさんあります。
4) 飛躍しますが、
あの場で、でしゃばることは、今の雰囲気では場違いなのは分かるけど、やっぱり、苛立ちを感じていたならば、その学生は声を上げるべきだったと思う。
場や雰囲気に飲まれないで、空気を作り出すことからイノベーションは始まると思います。
先の戦争は、雰囲気で始まり、雰囲気で終わった(誰も責任を取らなかった)。
場や雰囲気のせいにするのは簡単で、とても無責任。
その繰り返しで、だんだんと息苦しい社会になっちゃう。
場や雰囲気のせいで、自分たちの子どもを戦場に送り出したくはないよね。
ここは世代を超えて共通の願いだと思います。
内容について一切書いていませんが、歩さんの話を聞いて、前述の「飛躍」部分を思い浮かべました。
幸せは周囲3メートルにある。言い方を変えれば、これからの時代は「幸せ」「自由」「LOVE」「PEACE」は、一人一人が身近な人と一緒に「自分事として」創り上げ、守り抜いていかなければならない時代なんだな、ということをひしひしと感じました。
四角大輔、高橋歩、あの世代の人が、僕よりもずっと先を自然体で見通している。いやー、相変わらずカッコイかったです。はい。
2010.10.10追記
歩さんは講演中は一切不満を参加者には伝えませんでした。講演後の帰り際に、もっちが最後の挨拶をした際に、本音を伝えて下さいました。
そのことを、このエントリーで公にしてしまうことは、その歩さんの大人の配慮を無にしてしまうことだったかもしれません。その点、歩さんごめんなさい。もっと良い方法があったかもしれません。(この指摘に従い、表現を一部変えました。)
繰り返しますが、このエントリーの主旨は以下の通りです。
「あの日のあの場所を、よりよい場にするためには、スタッフに頼らなくとも、あの場にいるすべての学生が何か行動することが出来たのではないか?」
このことを伝えるためには、歩さんのことを書かずにはいられませんでした。ここで大人の判断をしてスルーすることも出来ましたが、あの雰囲気をスルーすることは、歩さんが常に伝えて下さるメッセージに100%反することだと思いました。ポジションをとったからには、この件については、最後まで学生達ともトコトン話したいと思っています。これが僕流の歩さんへのお詫びと感謝です。
すこっちに大賛成。
でしゃばること!ほんとうに。w いの
うわー、そのイベント行きたかったんだよな~!
今度是非、話を聞かせてほしいです♪
いのさん、ちばじゅん、コメントありがとうございまーす。
でしゃばりのタイミングや方法は難しいですね〜。
今でも良かったのか、よく分かりません。