腑に落ちる

腑に落ちるって言葉は、Englishには適切な訳がないらしい。

理解するのと、納得する・腑に落ちる、というのではかなり違う。
日本人は、理論的に理解できても、腑に落ちなければ、その理解を自分事としてとらえ、行動することが出来ないのかもしれないですね。

理詰めで理解をさせても、人は変わらないし、動かない。
これは事実。

ロジックなんて重要な決断のときにはほとんど役に立たない。
なので、他人をロジックで納得させようとしても、それは一時的な納得しか得られず、問題をかえって大きくすることすらあると思います。

自分自身が重要な決断をしたことがある人間なら、そのことはよく分かるはず。だって、Goを正当化するにも、No Goを正当化するにも、ロジックは役に立ってしまう。ディベートというゲームが存在しうることからも、それは証明できます。

街が元気になる瞬間

それは、みんなが自分の街に希望と誇りを持てる、あるいは、持とうと思う気持ちをあきらめなくなるときだと思います。
が、それを言葉で理解したり、イメージするだけではきっとだめなんだな。
腑に落ちるくらいの感覚。それは、名の通りヴィジュアルを含めた成功イメージが具体的になったり、仲間と共有できたときとか。ほんとそれは、一瞬のうちにおこる変化で、休日の昼下がりに爽やかな風を頬で感じれたときの安堵感と発見の喜びのような。

それでは函館の場合。

コミュニティカフェ goes around cafeは、どういったときに、それを成し遂げられるのだろうか?
その答えは、もう既にgoesによって「一瞬のうちにおこる変化」を体験した人に聞いてみるのが一番です。
構想から1年ちょっと、開店から一ヶ月。すでに何人もの人が変わったのを、僕ですら見ている。きっとgoesのメンバーはそれを知っているに違いない。
例えばxie、例えばゴッディ、ハチクロちゃんやあおい先生もそう。この僕だって、goesのおかげで、すでに大きく変わっています。

でも、goesのメンバーは、そのステキな事実をみんなで味わっているかい?
「みんなで」味わっているかい?
きちんと言葉にできているかい?
たとえ、それが10分の1しか表せなかったとしても。。。

革命は始まったら後には引けない

あなたたちは、もう既に十分素晴らしいことをしている。
素晴らしいことにがんばっている人たちに、より多くの責任を感じさせるのは好きじゃないけれども、あえて言うと、

「もう、goesはあなたたちのものじゃない」

期待する人たちが既に山ほどいます。
これで心半ばで終わってしまったら、今度こそ「この街じゃ、なにもできないんだ」という気持ちから二度とはい上がれなくなるでしょう。

別に失敗をしても良いのです。他人から見た、成功、失敗なんてどうでもいい。
自分たちが誇りに思えるような、出来るだけのことができた上でなら、どんな結果であれ、後に道が残るでしょう。
大切なことは,何が自分たちの誇りか?何を成し遂げたいのか?

goesのメンバーは、それをみんなで語れているかい?
「みんなで」で語れているかい?
きちんと言葉にできているかい?
何を大切にし、何を成し遂げたいのか?

たとえ一人一人が違っていても良い。
それをみんなで「場をひとつにして」語り合えていますか?
「いったい、僕らは何を大切にすれば、何を成し遂げれば、自分たちは満足するのだろう」かということを。

他者満足は自己満足から始まる

コミュニティは一人ではできないから、多種多様なたくさんの人のつながりを生む場づくりが大切。
その場の中心にいるみんなが、

・自分達の大切にするコト・モノたちを体現し、
・お互いをリスペクトして、
・楽しんで未来に進んでいること

これ大切!

別にかっこよくなくていいんです。
スタイリッシュである必要なんて無い。紳士的である必要もない。
それは、みんな自身も、カフェという物理的な空間もね。

ときに殴り合いのケンカをしてもいいんです。ほんと、たとえお客さんの前であってもね。
みんなの本気が伝われば、たとえ初めてのお客さんでも「こっちまで楽しく成っちゃうんです」ってば。

どうか、近い将来、そういう愛されるコミュニティになるから(絶対に)、そうなるまで、つまらない理由で足を止めないでね。
半年後、一年後、五年後、いや20年後の函館に、あなたたちの成功体験がないと困るんです。
困る人が沢山いるんです。

ぶっちゃけ、カフェとしての経営が破綻しててもいいんです(笑)。五稜郭のカフェと経営競争をして勝つことが目標じゃないし、
むしろ、goesなんて過去のこと、って言われるくらい、街が元気で、若者が元気になっていることのほうが、みんなにとっても満足でしょう?
10年後には、みんなが次なるワクワク・ドキドキの場を作っているくらいになっていて欲しいくらいです。

でも、そのためには、かならず重要なこと。みんなが成功体験をしていないとだめなんです。
自分たちが「私たち、これだけのことやれたんだね」って。
外から見ていて、口だけ動かす評論家がいう「成功」「失敗」なんてどうでもいい。
みんな自身がみんなできめたヴィジョンを最後まで追い続けて欲しいのです。
「私たち、これだけのことやれたんだね」って。

そうしたら、客観的な結果はどうあれ、そこで生まれたキセキや、「熱」は、きちんと街に残ります。勿論自分たちにも。関わっていた全てのコミュニティメンバーにも。
落胆ではなく、希望が残ります。
そして、その「熱」こそが、じわりじわりと、「本当の敵」を追い詰めていきます。
現状維持。若い人たちの熱い芽をつぶす冷やかし屋。

そのために大切なのはプロセスです。

どうか、自分たち自身が困難の中で、函館の本当の敵を見失い、自分たち自身がそうなってしまわないで。
きっと大丈夫だと信じていますが。ね。

腑に落ちた瞬間

僕のgoesとの出会い。
最初にgoesの話を(吉野)かおりんから聞いたとき、すぐに函館でぶんぶんに会いました。

話を聞くと、
・函館で
・コミュニティカフェ
・若者を元気にする
・そして街を元気にする
今まで僕がやってきたことと、これからやりたいことに、すべてドンピシャ。

すぐに興味を持ち、自分に何が出来るかを考え、関わり始めました。

その一つがこのブログエントリー。

函館に新しいコミュニティカフェが産まれます!

ただ、この部分では、僕はまだ、goesの魅力と可能性を、理解した、だけでした。
これが、腑に落ちるってくらいの思いになったのは、前述のブログエントリーにも書いた言葉。

「夢を追いかけ東京に出て行った仲間が、夢を「卒業」し、地元に戻ってきたことがあったという。そのとき、地元の友人の多くは、歓迎をするのではなく、後ろ指を指すような冷やかしに似た態度を取るものもいたという。このことに対して「いったい何なんだ!」という思いがあったとのこと。なので、そんな函館を変えたい」
もう一人の代表・カフェ店長のみきじの言葉でした。

大きな理想は大切だけど、ときに綺麗な言葉に成りすぎて、いざというときの力になりにくい。
一方、くやしいとか、みかえしてやりたい、とか、そういった個人の感情って、ときにものすごい共感を生むし、力を持つことがありますよね。
その分、賛同できないって人もいるだろうけど、気持ちを共有できる人の間では「うん、そうそう!」って、解釈の差異とかなしで、すべて共有できる。
自分たちの変えてみたい未来、やりとげたいことが、より具体的にイメージできる。

きっとこの言葉に出会っていなければ、僕もこうはなりませんでしたよ。こうは。笑

ぶんぶんとみきじ,函館にキセキの変化のきっかけをつくったこの二人。どちらも欠けたらだめなんだと思う。

若者割しようよ

話変わるけど、いくらインターネットが発達し、世界を感じられる時代になったとはいえ、気がついたら涙が出ているような、本当に心を震わせるような人間のどろくさい部分ってTCP/IPには乗りにくいわけです。
だから、世界を飛び回る必要がある。
世界の大きさはそれぞれでいい。別に日本を飛び出す必要もない。その人それぞれの世界の大きさで良いと思います。ただし、かならず自分の足で出向き、自分の目と耳で感じ、自分の言葉で会話をすること。
今の時代だからこそ、バックパックひとつで世界に飛びだそう!JALもANAもJRも、シニアに割引なんてしなくていいんです。若者に割引を!

さて。話を戻します。

goes around cafeが、今後やったほうが良いと思うこと。

1) みんなで未来図を共有しよう!
今一度このタイミングで、かならず「みんなで」各自の、goesの、函館の、未来を描き、共有する時間を設けよう。
それは開店準備とか、次の日の朝とかを気にしないで済むときにやるのがいいです。
これまでは、開店という共通の未来があったけど、今こそ次の未来を具体的に話し合うときです。個別に話してはいけません。

2) 仲間を信じよう!
言葉が通じないから言ってもむだだ。あの人はソーシャルに興味がないからこの話はきっと興味を持たない。会計の、Webの知識がないから、誰かに任せてしまおう。
などなど。アカンです。これらは、どれも自分と仲間に自信がないから生まれることだと思います。
自分の感じていることが大切なことだと心から思うならば、あらゆる手段を使って相手に分かってもらう筈。
コミュニティにおいて自分が大切な存在だと思うならば、自分が感じている違和感をきちんと伝えるべき。自分が大切な存在だと信じているなら、そこ言葉は感謝に変わるはず。
社会起業家とか、まちづくりとか、そういう専門用語はどうでも良いのです。みんな、それぞれの場で、使いやすいから使っているだけ。
それがかえってコミュニケーションの阻害要因になるならば本末転倒。ソーシャルに興味がない、社会起業って言葉をしらないあの人も、実は同じことを考えていますよ。
すべては、自分と仲間を信じて、みんなと「同じ場」で、みんなの前で、「自分達のことを自分の言葉で」話すことです。それから、いろいろなことが変わりますよ。
自分と相手の間に線を引いてはいけません。
来るモノ拒まず、去るモノ負わず。これがコミュニティの鉄則!

3) 外に出よう!
旅でも良いし、なんでもいいから外に出ましょう。ただ、それは普段の不満を解消するために、一人で温泉に入る、のとはちょっと違う。(←これもこれで大切だが。)
必ず、他の人と話す。今自分のやっていることを。そして、そこもgoesにしてしまおう。そして、相手からのフィードバックを得ましょう。
きっと、自分たちがやっていることの価値に気がつくと思うよ。
あとは、外、ってのは、職場でもいいんです。必ずしも、自分にとって居心地の良いところじゃないかも知れない。でも、今goesでやっていること、その一部でも、自分だけの力で職場でもgoesのような場にできるように、ほんの少しだけがんばってみる。そしたら、自分にご褒美をあげる。がんばった自分をgoes around cafeでみんなに話して、みんなに褒めてもらいましょう!
ワクワクドキドキは「独りではいられない」。ワクワクドキドキは常に外に向かっていかなければならないのです。 

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