研究テーマ: 近傍性を重視したインターネットの新しいコミュニケーションモデル
概要
私の研究テーマは、人間が長年培ってきたコミュニケーションに関する知恵・叡智といったものを、インターネット上のコミュニケーションにモデル化し、インターネットをより人間の活動にとって有意義なメディアに進化させることである。特に、近年の問題意識は、「近傍性」を取り入れたコミュニケーションモデルの確立である。
ここでいう「近傍性」とは、地理的な地域性といった近さ、ならびに、ユーザ間の知人関係といった論理的な近さのメトリックである。インターネットの特徴であるグローバル性・フラット性、すなわち、世界中が情報取得・情報発信スコープであるという点は、情報過多やプライバシの点に関するリスクを生む。ある種のユーザにとっては、この点が障害となっている。例えば、SNSは今日多くのユーザに支持されているサービスであるが、その背景には知人だけとコミュニケーションが取れる点、すなわち、情報過多やプライバシの問題に対する現実的な解法への支持がある[1]。
世界とのグローバルなコミュニケーションというインフラが整った今日、次に取り組むべきは、ユーザの目的を真に実現するために必要なコンテキストをユーザに提供することである。その一つの方法論が、実社会のモデル化に基づく近傍性メトリックの導入と考える。グローバル化しすぎた経済に対するアンチテーゼとしての地域通貨の可能性[2]と相似する考え方である。私はこの問題への取り組みを、いくつかのコア技術の開発・改善と実社会での応用実験を通して行ってきた。具体的には、以下の研究キーワードがある。以下にそれぞれを述べてゆく。
研究キーワード
コア技術開発のキーワード
SNSを用いた人材マッチング,
共感検索エンジン,
自律分散型電子地域通貨i-WAT
社会応用のキーワード
地域SNSと地域通貨,
知財管理と通貨,
学内人材マッチング、教え合い促進
SNSを用いた人材マッチング
私はSNSという言葉が生まれる前の2001年より、知人関係を用いた人材マッチングの研究を行ってきた[3]。当初の動機は慶應大学SFCの学際キャンパスとしての特徴を活かし、異なる専門の学生間の人材マッチングを行うために始まった。知人関係ネットワークのクリーク数(Hop数)に基づき、情報発信の情報量を制御することでプライバシ保護や機密性に優れた人材マッチングを実現した[4]。この研究は自身が起業した株式会社Beat Communication[5]におけるBtoB向けSNSソリューション等に活かされている。また、2003年に国際ゲーミングシミュレーション学会の国際会議(ISAGA2003)運営に関わった際に、RF-IDによる位置情報提供システムと人材マッチングシステムを合体させた会議参加者支援システムを運用した[6]。この国際会議での実験を踏まえ、慶應大学SFCのキャンパス全体にRF-IDアクティブタグ用のアンテナが設置され、人材マッチングシステムの継続運用の計画がある。また、継続的な会議支援として、WIDEプロジェクトにおける会議支援や会議と会議間のメンバー間協調支援システムCSAW[7]をWIDEメンバーと共に運用している。
共感検索エンジン
前述の人材マッチングに対し、ノードをあらゆるコンテンツとしユーザ間の共感の強さを近傍性メトリックとして情報検索に応用したものが共感検索エンジンである。これは、独立行政法人情報処理推進機構(IPA) 2004年度第2回未踏ソフトウェア創造事業に採択された「ユーザ間の主観的センス共感度を用いたWeblog検索システムの開発」の成果を改良したものである。共感検索エンジンは同じようなコンテンツへの評価が近いユーザ間を「センスが共感できるユーザ」として定義し、そのユーザ間での情報共有度を高めることで、ユーザ個々人によって異なる価値判断が行われやすい趣味・嗜好といった分野の情報検索において、情報過多を防ぎパーソナライズ検索を実現するシステムである[8]。
現在は、日経新聞社やメディエイド等、企業との共同研究を通して、企業の保有する情報やコミュニティサイトと統合した形での実運用実験を行っている。また数社から社内導入等の相談を頂いている。
自律分散型電子地域通貨i-WAT(アイワット)と、その社会応用
慶應義塾大学デジタルメディアコンテンツ統合研究機構(以下、DMC機構)専門員、兼、ゲゼル研究会主宰の森野栄一氏が開発した地域通貨WAT[9](ワット)や、斉藤賢爾氏によるWATのインターネット移植版i-WAT[10]を、 DMC機構のメンバーと共に、地域活性化や知財管理、人材マッチングや教え合い促進などに応用している。
WATの特徴は、物々交換を支援する補完通貨であり、従来の法定通貨や地域通貨とは異なり、ユーザ各自が過去の信用を以て振り出すことができる手形のような通貨である。この性質から個々人によって異なる価値判断を行う財の交換に優れ、共感検索エンジンとの親和性が高い。また地産地消が促進される。さらにi-WATにおいては物理的な地域性の制約から離れることが出来るために、論理的な地産地消(例えば、センスの近さによる地産地消)の実現が可能だ。WATは、共感検索エンジンと共に、近傍性メトリックの重要なコア技術となる。
コア技術(人材マッチング, 共感検索エンジン, i-WAT)の社会応用
一つめの社会応用として、WATを全国の地域SNSで利用できるようにするWeb版実装の開発を行っている[11]。また、近年町おこしで注目される島根県隠岐郡海士町と、都市再生計画に取り組む東京丸の内地区の2地域をテストベットとした地産地消メカニズムの実現に関する実験を開始している。
二つめの社会応用として、知財管理にWATと共感検索エンジンを応用している。デジタルアート作品を流通させるサイトpicsense[12]において、作品の再利用関係と再利用関係に応じた価値分配システムを実現するための実装を行っている。また、機密性を保持した知財の売買市場システムの実現に向けた議論を行っている。
三つめの社会応用として、主に高等教育における学生間での教え合い(相互教授)を促進する実験を行っている。これは主に二つの形があり、一つは講義やサブゼミ内での教え合いである。もう一つは、先輩が後輩に対し、授業の選択やゼミ・所属研究室の選択に対するアドバイスなど、学習計画の支援を行う形、先輩から受けたものを後輩に返すといった形、での教え合いである。前者は、既に2学期間2つの講義で行った。その結果、教え合いが盛んな学生は授業の成績が高いことが示唆された。後者は現在計画段階にある。
引用
- 大向一輝「SNSの現在と展望 -コミュニケーションツールから情報流通の基盤へ-」情報処理, Vol.47, No.9, pp.993-1000, 2006年
- 河邑 厚徳『エンデの遺言―「根源からお金を問うこと」』, 日本放送出版協会, 2000年2月
- 須子 善彦,宮川 祥子,折田 明子『自己情報コントロール権を実現した人材マッチングシステムの研究』情報処理学会 研究報告 「グループウェアとネットワークサービス」, No.44, pp. 1-6, 2002年5月
- 須子 善彦『情報発信における人脈情報を用いたプライバシ管理の実現』KEIO SFC JOURNAL – Vol.4 No.1, 2006年1月
- 株式会社Beat Communication, http://www.beat.co.jp/
- Yoshihiko Suko et al. “The demonstration using real time location & profile data for basic environment of Gaming & Simulation System – Matching game using RF-ID tag and mobile phone”, International Simulation And Gaming Association, The 34th Annual Conference. 2003年8月
- WIDEプロジェクトCSAWワーキンググループ http://www.wide.ad.jp/project/wg/csaw-j.html
- 須子 善彦, 村井 純『ユーザ間の主観的センスの共感を用いたブログ検索システム』情報社会学会誌, Vol. 3,No. 1, 2007年6月
- WAT http://www.watsystems.net/watsystem/watguide.html
- i-WAT http://www.media-art-online.org/iwat/
- 庄司 昌彦, 三浦 伸也, 須子 善彦, 和崎 宏『地域SNS最前線 – Web2.0時代の町おこし実践ガイド』株式会社アスキー, 2007年3月
- 須子 善彦, 小池 由理, 村井 純:デジタルアート作品の流通を支援するシステム picsense. コンピュータソフトウェア, Vol. 24,No. 4, 2007年10月