http://www.forum3.com/05/bi.htmlに行ってきました。
会場に溢れんばかりの100人ほどの参加者。

田中康夫氏、小沢修司先生のお姿も。ゲゼル研究会の人もちらほらいらっしゃいました。

会場の様子

会場の様子

今日のテーマは、社会的信用論の紹介。

—-(ここから、講演会ログ)——

今日世界で起きていることは、不況ではなく恐慌

不況:在庫調整等で乗り越えれる
恐慌:資本主義の制度的欠陥から生じる

恐慌を変えるには、システムの大変革。一つがベーシックインカム。

今世界でやられている不況対策は意味がない。
ケインズの再評価は、今日が不況ではなく恐慌であることを示しているが、世の中が注目しているのはケインズの一番面白くない部分。

ケインズが珍しく行った市民向け講演
「自分たちの孫の世代は、経済ではなく芸術や文化活動に忙しいだろう」
60年代の若者の世界的なムーブメント。ケインズの孫達の世代。彼らは毛沢東やゲバラを引いたが、実はケインズによって彼らの理想は実現できる。
資本主義の安楽死(市場の飽和。イノベーションの衰退。資源・環境の問題)を予測。
しかし、80年代、レーガノミックスによって悪い延命。リッチマン革命。金持ちへの欲望への刺激を成長の原動力にする。他人に差を付けたい(相対的要求)による経済。

資本主義の死に様。どう死ぬか。
資本の希少性がなくなっていく。過剰資本。
人類の欲望は十分に満たされているのに、資本は余っている。それが金融危機に。

それでも、ケインズに私は、一部異論。ケインズの時代は、まだ産業革命の必要性をいっていた。ただし、あの時点で実はもう産業革命は要らないほどに、人類の欲望は十分に満たされつつあったと思う。
そのせいで、要らないモノが沢山作られ、兵器・大量生産大量消費・環境問題を生んだ。

資本が希少だった時代の制度が、資本過剰の時代に恐竜のように生き残っているのが問題。

クリフォード・ヒュー・ダグラス。エンジニア出身。社会信用論。この人が、実は歴史上初ベーシックインカムを提案。ウェブレンと同世代。
調査。全労働者の総取得では、生産したものを買うことが出来ないことを証明。
当時の経済学者からは異端。
世界恐慌で、ダグラスの言い分が証明。カナダや英国の国会で発言。
社会信用論運動を展開した。
ケインズはダグラスを評価。ダグラスかマルクスが次の世界を作るだろう。

のど元過ぎればダグラス忘れる。世界恐慌が第二次大戦による軍需恐慌によってうやむやに乗り越えてしまったため。

資本の不足は、商品が不足していることによってはじまる。衣食住への強烈なニーズ。
automation化も、衣食住のニーズを満たすことに寄与した。automation化による単純労働からの解放は行われたが、労働者はちっとも余暇が増えなかった。
2割の労働者で生産はまかなえる。

生産の問題ではなく、今は、分配のフェーズへ。
金融は、すでに必要のない、生産を、さらにかりたてる仕組み。
その不要さを、銀行の不要さを、ダグラスは数理的に立証。

銀行に手を入れなければならない。
イングランド銀行。すべての銀行のモデル。対フランス戦費を調達。国家が銀行に借金をする。あたかも国家の銀行に見えるが、実は私的企業。銀行のための銀行。通貨発行権が為政者から銀行という名の金融業者に移動した瞬間。その後、イングランド帝国の影の支配者。

その後、このモデルが続いたのは、大規模な投資が必要だったから。大航海、植民地開拓・経営、産業革命。でも、今日はもう必要ない。

銀行は何をしているのか?今何をしているのか。
銀行は預かっている預金の8〜10倍のお金を貸し出している(部分準備)。急速な信用伸縮が起こると、お金は返せない。無から新しいお金を創り出している。信用創造。無いものを売って丸儲けしている。詐欺の要素すらある。無いものから価値を創り出すことは、一般的には悪ではない。すべての創造は、結合と協力によってなりたっている。ただ、銀行はそれを横からかっぱらっている存在。

世の中の90%は、銀行信用で成り立っている。負債で動いている。負債を返済する義務で動いている。国家も個人もみんな銀行からの借金を返してしまうと、現経済は止まる。借金はみんな嫌い、唯一好きな存在が銀行。日銀券は負債としてカウント。裏付けは国債。納税者を人質にとったもの。これが日銀券の信用の源泉。つまり、すべては負債で動いている。

利子は不思議なもの。企業が追い求める利潤は景気衰退により上下する。利子は、1回決まったら変わることがない。自然界でそんな存在は存在しない。利子を廃止しなければ、環境に優しい経済なんて出来ない。

国債は国家にとって好き勝手出来る都合の良い存在。利子付きの負債が銀行信用の源泉。
利子付きの負債としての銀行信用が経済で回り、その存在が増えていくと、実際に自由に使えるお金は不足している。こうやって、資本の希少性を今日に生み出している。

どうしたら、銀行を乗り越えれるか。利子的負債を無くす。そういう経済を無くす。人々の社会的結合と協力を生み出す通貨を作る。国家が発行。利子は付かない。ついたとしても、運用コストのためだけ。これが、ダグラスの第一の結論。これは古代には普通。独立時代のペンシルバニア州の成功。これを英国バンクが止めさせたかったのが、米国独立戦争の遠因という説も。リンカーンのグリーンバンク。南北戦争の戦費調達。リンカーンの暗殺の遠因説。ケネディの連邦銀行批判が遠因という説も。

太政官冊も、高橋是清も事実上、政府紙幣の発行。恐慌からの早期回復。ただし、公共の利益に対する合意と、それをきちんと実行する政府が成り立っていないと、危ない結論にもある。

自民党の一部、政府紙幣の提案。これはとんでも無い話。利権構造が解決する前に、政府紙幣を発行したら、ばらまき政治の暴走になる。しかも、政府紙幣というより、国会紙幣というべきだろう。財務省ではなく、国会の意思決定だから。

ダグラスの「A+B定理」。
企業の生産コストはAとBに分けられる。
A: 給料になり、配られる →所得・購買力
B: 減価償却費、銀行への負債の返済、他の企業への支払い、その他の外部費用(工場のたてものの維持費用など)
あたちまえですが、A < A+B . よって、労働者の所得では生産物を買えない。
利潤は企業会計のたかが数%にすぎなくて、それはメインの問題ではない、とマルクスを牽制。それよりも、銀行の介入のほうが問題、と主張した。

企業からの給与は、企業が銀行からローンで借りたもの。
企業給与者は、ローン債務者のようなもの。商品を買うことも、銀行への返済に大半は充てられる。働いて商品を買えば買うほど、Aは減り、Bは増える。ただ、Aが減りすぎると、企業も困る。物が売れなくなる。

この矛盾をごまかすための方法。その1、また銀行からローンをかりる。悪循環。
その2、輸出貿易で設ける。キャッシュ得られる。

この結果、企業会計上の数%がA。その小さなAを企業が奪い取ろうと激烈な競争している。これが今日の市場。

生産を拡大しつづけなければ、Aを継続的に労働者に共有できない。経済成長は宿命。
一方で世界はもうニーズ飽和。企業が残された世界は、よけいないもの、ぜいたくひん、危険なモノを作りしかない。

企業も銀行の被害者。
利子と負債の論理=銀行の都合でマネーを生産。本当のマネーの需要をつくっていない。
企業の負債は累積的に増大。労働者の所得は継続的に減少。

銀行→(ローン)→企業→(給与)→労働者
雇用と所得を切り離すことで、上記のメカニズムの負の連鎖を切る。
これによって、A、雇用力の保障。これが、社会信用論の課題。

公共通貨(Public Currency)の発行。
雇用と所得を切り離す。
ダグラスは、これを「国民配当」と表現。
特定の個人の労働の対価ではなく、人びとの結合と協力から生み出す共通の富, Poolから富をもらう権利はすべての人民に存在する。

文化的遺産。生産の実体は、90%は道具とプロセスを構成。労働者依存は10%。よって、必要なのは労働者の労働環境ではなく、共同体の文化的遺産による道具とプロセスの醸成。過去の何千年という遺産の上で、今日は成り立っている。よって、人類は過去の蓄積から配当をもらうことが出来る。

また、自然は驚くべき富を人類に授けている。

私は、雇用の切り離しを考えると、所得ではなく「国民配当」と表現したほうがいいのでは。
そのためには、社会的信用論に基づかないと行けない。

実際の導入は。
財源が足りない。
所得税ですると、階級闘争と思われる。
消費税でやると、何も買えないほどの消費税に。
そこで、社会的信用論に基づきPublic Currencyによって行えば、財源の問題はない。

Public Currencyをきちんと発行するには、個々人の生産能力の評価や、需要の正しい見積もりなどを行わなければならない。

雇用によってしか所得を得ることが出来ない。というのは古い。
雇用によってしか、富を分配できなかった時代の話。
雇用を守るのではなく、所得への自由こそ重要。

有能でしっかり働く人が地球を壊している残念な状態。本来は、文化の普及などに尽くし、購買能力で社会に貢献してもらえばいい。

お金の考えを変えなければならない。切符を神棚に飾る人はいない。使って電車に乗る。お金も本来的には同じ存在。
分配の手段であったお金が、銀行によって生産の手段にさせられている。
お金は、電気や水のようなインフラのようなもの。力や特権はもはやない。

人民が合意に基づき、発行される公共通貨Public Currency.

こういうことを20世紀初頭にダグラスは言っていた。偉大な人であった。

PCには賛成しても、BIには反対する人が多いだろう。
お金が辛い労働に対する報いだと思っている、古い考え方から、人生を楽しむためのインフラとしての考えに変えられないものか。

ダグラスの3つの主張
1) Public Currency
2) 国民配当、BI
3) 正当価格 (Just price)

正当価格とは?
需給ギャップ、例えば25%、発生したとする。小売りが25%割り引く。小売りを政府が補填。
割引保障。
消費税と180度反対のモノ。
売れば売るモノを売るのは否定されていない。
価格をつり上げることが否定されている。

上記3つによって、生産と消費のバランスが取れた経済が持続できる。

国立銀行:公共通貨(公共性の高い事業に投資) →(無利子で貸し付け) → 企業
企業  →(賃金) → 勤労者・庶民 → 小売り
国立銀行:公共通貨  →(国民配当) → 勤労者・庶民 → 小売り
企業  →(生産:商品)→ 小売り
国立銀行:公共通貨  →← 小売り (割引保障)

社会信用論に基づく主な金の流れ

社会信用論に基づく主な金の流れ

額はいくらが良いか?
バランスはあるだろう。
cf)米国の今。クックプラン。成人10万円。

公共通貨の適正なマネジメントができることによって、税金という無駄の多いシステムを大幅に廃止できる可能性すらある。

BIもPCも、千差万別、山ほど具体的な実行プランがある。原則3つを維持すれば。

現代は、右とか左とかではない。
所得は雇用によるモノなのか、それとも自然権の一部なのか。
マネーは特権と権力の行使を実現するモノなのか、万人が人間的な生活を行えるためのインフラなのか。

アメリカでも、BIの主張がなされている。早い内に、日本にも連鎖が起きるかもしれない。

—(以下、質疑応答、一部もれあり。)————-
Q&A

Q:余計な消費を生み出し、無駄な生産を生み出すことにならないか?
A:ダグラスの理論の根底は、もう既に消費欲は満たされているという前提。
企業が創り出す消費欲はもう必要ない。
一方で、家がないなど、ベーシックな消費が満たされていない人たちがいる。
よって、衣食住+αを対象にする。
ゼロ成長に近くなるのでは。
無駄な生産を生み出すことになるかならないかは、社会創造論の範囲外。

Q:貿易の問題。小国、例えばトンガでは、通貨の信用が落ちて、貿易体制から排除されるのではないか?
A:
大国や小国、どちらも問題がある。
小国こそ、貿易が必要。
小国の連携が必要だと思う。
今日は、政治の話はしなかった。
大国の場合。中央集権国家はだめとか、本当に人民の声を集約できる仕組み作りとか、いろいろな修正が必要。
おっしゃるとおりトンガでは難しい。IMF体制ではない仕組みが必要。

Q:雇用と所得の切り離し。前に関さんは、労働と地位を切り離すとも言っていた。
日本人の働くことの美学からくる反論は?

A:
悠々自適生活を実現することはBIではそもそもむり。ギリギリの衣食住が保障される。
プロフェッショナルな職は別として、大抵の勤労庶民はカジュアルな仕事になるのではないか。
今だって、働かずに非行に走る人もいる。
文化に貢献している人もいる。
人間が一斉に怠けるかは分からない。
物欲より社会的認知が働く動機ならば、所得保障があっても、人々は他人に認められたい欲求から働くだろう。
3K労働をやる人はいなくなるかもしれない。これは課題。
ゴミ収集は市民で交代でやるとかか。
高給を払うか。でも、それがいいのか。
社会的名誉を与えるか。

Q: 社会信用論において、国民が企業に投資できないのか?
A: それは、実際に制度設計する際の判断。
社会信用論全体のお金の流れを破綻させなければ、国民による企業への投資は制度に入っても・入らなくてもよいだろう。

Q: 税金なくても国家にお金は戻る?
A: 原理的には必須ではない。図は簡略化している。
必要かどうかは、詳細の制度設計で変わる。

Q: ヴェルナーらが、マネーや信用について触れないのはなぜ?
A: 福祉国家の延長で考えているからではないか?

Q: 大衆に受け入れるアイデア
A: 実例の話としてグリーンバンクなどを知らせていく。
アラスカ州は、BIしている。石油の粗利を一律年36万円くらい配っているが、アラスカでインフレが起きているとか、怠け者が増えているとか言う話は聞いたことがない。
雇用(勤労)されないで所得のはけしからん、という反論は、しっかり対話するしかないのではないか。
現行ですら、不労所得はある。
BI導入でテロになるような反対意見はないだろう。

Q:生活保護法は上手く機能していないと現場からも感じている。BIに期待。現物支給との関係。
A:あまり詳しくない。
障害者だとBIだけではたりない。医療保険もカバーできない。
(白崎さんの方が詳しい)
現物は残さなければならないと思う。

Q:ネーミングの話。
A:ダグラスは国民を使っている。
日本では、市民配当という名前の方が良いかもしれない。
国民経済を前提とした議論が元々だから。グローバル経済を前提としたBI論はより困難。

Q:現実可能性は見えたが、その理想へどうやって移行していくのか、というプロセス?
A:徐々にでしょうね。一気には、大混乱。
マネーが生活インフラだという認識作りが先。階級闘争になってはならない。
日本銀行も株式市場も残すが、無からの信用創造を徐々に禁止していくとか。
ただ、その間に、どんどん、餓死で死んでいく人はいる。
なので、BIとは思想的レベルがぜんぜん違うが、緊急で実行できる妥協的制度として「負の所得税」もありうるのではとは思う。
ただ、最終的には妥協は出来ない。無からの信用創造の禁止とか。

Q:以降の単位は?
A:地域銀行の方が良いという考えもある。
中規模国家の国民経済を想定した議論が多い。

Q:割引保障について
A:一律マクロ計算で割り引く

Q:割引保障について
A:一律マクロ計算で割り引く
統計が重要

Q:国債の借金がなくなる可能性があるという点?
A:テクニカルには、いろいろある。出来たPCを銀行で受け取ってくれるかどうか。
ただ、最初に所得保障として導入すれば庶民は受け取る。そうなると、銀行も無視できない。
そうなれば、理論的には、銀行が持っている国民の負債はPCで徐々に買い取っていける。
銀行の抵抗をいかに防ぐか。

Q:BIは、個人の自由を広める一方で、経済に対する国家の関与度を上げるのでは?そのバランスでは。
A:
国立銀行は政策はしていない。気象台のようにデータを集め、分析した結果を機械的に通貨のコントロールに使う。個人の行き方には干渉しないと考えられる。BIも、ミーンズテストがなくなる分、自由に。
ダグラスの動機は、個人の自由を広めること。

ダグラスは、マネーは命令だ、とも言っている。報い。銀行が社会に命令をしているのが問題。そういう意味ではBIは命令権を全ての人に渡す。

Q: 京都市立大学でBIを推進。    小沢修司先生、今日の話を補足したい。
BIにも様々な形がある。ダグラスはその一つ。また、BIだけではすべて解決できない。現物給付も必要。

名前の話。社会配当論。ベーシックインカムというカタカナ語を使い続けるのは、日本語にしてしまうことによる思考停止とイメージの一人歩きを避けるために、やっている。

給付付き控除
民主党の児童手当
など。
雇用と所得を切り離さなければ、人々の生存を保障できない。

田中康夫

財源という言葉もつくられたもの。
智恵を作った人ではなく、智恵を出した人に配られるのが、この配当、と捉えました。



今日は政治のことは極力省いたが、実際には絶対に避けて通れない。

Q: 政治リーダーが出てくるか、ということが一番難しいのではないか。
A: 突然の救世主の登場ではないだろう。
徐々に。
リーダーは教育者。
発掘しなければならない。

7 Responses to 2009/3/8 第2回ベーシックインカムの集い 「生きるための経済」 関 曠野(せき・ひろの)さんご講演

  1. […] その際の議事録メモが須子個人サイトのブログのほうに掲載してありますので、興味のある方はご覧ください。 […]

  2. Soba より:

    当日の集会に参加しておりました。
    このようにまとめていただける方がいるとは、ほんとうにありがたいです。
    私も、他の人に内容を紹介するのに、ほんとうに楽になりました。

  3. 藤沢雄一郎 より:

    私も参加していました。あまりに早い記録に驚くばかりです。内容もかなり正確だと思います。パブリック・カレンシーと国民配当で恐慌を乗り越えたいものですね。

  4. 絵本のモモ より:

    素晴しいです!こんなにも早く内容を知ることができてとても嬉しいです。当日は参加することがかないませんでしたが、とても熱気あふれる様子が感じられます。記録し、公開して頂いて感謝しています。

  5. sean007a より:

    私めも同じく、感謝です。何度も読み返させて頂きたいです。

  6. […] なお、ベーシックインカム・実現を探る会主催の前回の勉強会もレポートしています。ご覧下さい。 会場の様子 […]

  7. 高橋 より:

    2年ほど前には日本語サイトで全く見なかった「社会信用論」などというアナクロな言葉を、最近はよく見るので驚いてしまいます。どうやらベーシックインカムとの絡みで、関曠野さんが広めているようですね。
    http://bluejays.web.fc2.com/socred.htm
    社会信用政党は大英帝国領各地に創設されましたが、政権獲得したのはカナダ西部の「バイブルベルト」だけでした。各地の社会信用政党は例外なく後にはダグラスの理論を放棄し、キリスト教保守主義に傾倒しました。

    ケインズは、1935年の著書「雇用・利子および貨幣の一般理論」において、「A+B理論はまやかしに過ぎない」と断定したうえで、
    「ダグラス少佐が彼のB項目を、取替および更新のための当期の支出をともわない企業者の金融準備に限定していれば、彼はいっそう真理に近づくことができたであろう。しかしその場合でさえ、これらの準備金が新投資によって相殺される可能性を考慮することが必要である」
    と説明しています。新しい理論ならいざ知らず、昭和の初めに終わった議論を蒸し返すとは… 確かに「社会信用論」は、日本ではあまり取り上げられなかったわけですが。

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